にかにかパラダイス

詩人、アーティストのni_kaが気の向くままにちぽちぽと。らららちぽちぽ。

我が家には回覧板がまわってこないおはなし。

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我が家には回覧板が回ってこない 期待されない物件
 
これは先月桜を撮ったものです。一眼レフではなくスマホで撮った散り際の桜。夜景にはスマホは向いていないので、画質が悪すぎたりシャッタースピードの問題なんかで、ちょっと面白い効果がでていて好きな感じ。
機材の良し悪しだけじゃないのですよね、こればかりは。使用している一眼レフはWi-Fiがついていなくてとてつもなく不便なのでWi-Fi付きの一眼レフカメラが切実に欲しいです。残念な貧乏。

貧乏といえば。貧乏話ついでで桜とは無関係なのですが、‪ご近所でちびっ子が立派な一軒家のインターフォンに「回覧板です」と言っている前を通り過ぎて、この街に回覧板という物体が存在していることを知る。我が家というか我が集合住宅は、建物ごと回覧板をスルーされていることに気づく。恐らく町内会という存在そのものからもまるっとスルーされている。

子供の頃、母は町内会的ななにかにとても気を使い、父も町内会の餅つき会に参加したりしていたし、母は何度か町内会の役員なんかも引き受けていたような記憶。回覧板をお隣さんに持ってゆくお手伝いをよく母に頼まれたのだけど、人見知りだったからすごくつらいお手伝いだったな、とかとか。
‪母と弟に回覧板スルーのことを話したら、同じ都内でも母弟宅には現在でも回覧板がまわってきて、当然のごとく町内会のお仕事があり町内会費も支払いお祭りなどもお手伝いしているそうで、母はお祭りに寄付のようなこともしているという。町内会のお祭りか……お祭りが苦手なのでふるえるほど参加したくないと改めて思う。

思えば一人暮らしや二人暮らしして以来、要は親元から独立してから、一度たりとも私の住居には回覧板が回ってきたことがない。いつもご近所から町内会員として期待されない建物に居住していたらしい。そんな物件ばかりに住んだ自分にピンポイントのある種の才能を感じる。
‪不動産屋さんは「回覧板スルー物件」をアピールポイントとして書いて欲しい‬ぐらいだな。というか、『回覧板の回ってこない物件に住む方法』というブログでも書くかな、みたいな境地。

基本的に整ったインフラや清潔な環境や活気等の裏側には、地域の人々の知恵や労力があるのだから、町内会のような法的義務はない任意のコミュニティにも参加した方がよいのかもしれない。ただ、こちらからは頼んでもいないのに建築物ごと任意コミュニティから除外されている場合、もはや歓喜しかない。
ヤッホーじゆう! 少々自分勝手な考えなのは承知ですけども。

高級な家、車、お金、家族、地位などなど、あればあれで豊かで楽しい、けれど「持つ者」は煩わしいことも引き受けている。「持たざる者」は時には不便で大変、けれど煩わしいことから解放されているのかもしれない。町内会などといった苦手分野においては期待されないって楽だなあとしみじみ。ただ期待してほしい分野もあったりして、人間ってなんぎな生き物。
いろいろあるけど、人に恵まれていれば万歳です。 これからもご近所から期待されない物件にこそっとのんびり住み続けたいものですな。
桜の写真、もはや関係無さすぎる。